大野淳平〜萌え断でフルーツ大福の革命〜

大野淳平〜萌え断でフルーツ大福の革命〜

大野淳平氏の人生

大野淳平は名古屋市天白区生まれ。高校卒業までを名古屋で過ごします。高校の頃はビートルズに熱中し、学ランをジャケットに改造し、ギターケースの中に教科書を入れて通学するほどでした。今の大野淳平の風貌は茶髪のロングヘアに口髭をたくわえており、さながらビートルズ後期のジョージ・ハリスンのようですが、そのルーツは高校時代に育まれたものかもしれません。

大学は明治大学へ

保守的なところのある名古屋の土地柄には合わないと思われたのか、友人たちの「淳平くんは東京のほうが似合っている」という言葉を受け、大学は明治大学英米文学部へと進学しました。

大野淳平は、東京に出たら何者かにはなれると思い込んでいましたが、なることができませんでした。本人曰く「何もしていないんだから当たり前ですよね。」

卒業後は知り合いの会社へ入社

そして、大野淳平は大学卒業後、名古屋へと帰ります。友人の父親が経営する会社では、ルートセールス営業をこなして「そんな人生も悪くない」と思っていました。

しかし、一年で社長とケンカをして退社。このときに「お前は社会不適合者だ」と言われた言葉に腹をたてますが、「絶対に見返してやる」とも思いました。

その後の転職にあたり、自分を追い込むために広告代理店を選び、1000人中トップの営業セールスという結果を出します。

大野自身は、一年で年収も倍増し、担当した飲食店のオーナーから感謝されプライベートでもつきあい、社会不適合社長と呼ばれた自分が社会に評価されたと感じました。その一方で会社は、クライアントにとって不要な大きな広告枠を売るノルマがある。大野は小さくても十分なプランもあるのに大きなワクワク売らなければならないジレンマに陥り、広告代理店を3年半で退職します。

フリーランスコンサルタントとして働く

その後はフリーランスのコンサルタントとなり飲食店のみならず、美容室、アパレルショップなど30じゃと顧問契約を結びます。

年収が2000万円以上になり、お金儲けはもういいと思った大野は「ビートルズの客のように、ずっと人々に愛され、語り継がれるような作品を見て作りたい」と思うようになりました。

そんなある日、名古屋、覚王山の外れに「貸店舗」と貼られた物件をたまたま見つけ、「ここで大福を売ったら面白いかも」と直感したことが「フルーツ大福弁才天」の誕生のきっかけです。

フルーツ大福弁才天って何?

キーワードは萌え断

「フルーツ大福弁才天」の大福の特徴は「萌え断」と呼ばれるインスタ映えする断面です。その断面を美しくてカットするための専用の糸も付属しています。2019年のオープン時には、サンドイッチやおにぎらずなどの『萌え断』が注目されていた頃で、タピオカドリンクと同列の流行り物としてメディアに取り上げられました。しかし、大野社長が目指したのはトレンドではなくカルチャーでした。

のれん分けという新システムの発明

全国からフランチャイズの問い合わせが相次ぎましたが、フランチャイズではなく「のれん分け」というシステムを作ります。みっちりと2ヶ月間スタッフと同じ仕事をし、認められなければ、のれん分けはかないません。割合としては約70件、10件しか認められていません。

ここまで厳しいのれん分けへの道のりですが、それもそのはず。フルーツ大福弁才天では、フルーツ、求肥、白餡、すべてにこだわり、目利きをした旬のフルーツを毎朝職人たちが見事な連携プレーで手包みしているのです。価格はフルーツの種類により大福1つ300円代から500円代まで様々です。

大福一つに300円以上は高級ですが、それも頷けるほどに「美味しい」のです。注目されたきっかけは「萌え断」ですが、何より食べて美味しいことを強みとして、2021年にはのれん分けもさらに50以上増える見込みとのこと。とどまることなく飛躍を続けています。